聖書 新共同訳 新約聖書

日本聖書協会

マルコによるふくいんしょ

せんれいしゃヨハネ、おしえをべる

(マタ3 112、ルカ3 191517、ヨハ1 1928

1

1かみイエス・キリストのふくいんはじめ。

2げんしゃイザヤのしょにこういてある。

よ、わたしはあなたよりさき使しゃつかわし、

あなたのみちじゅんさせよう。

3さけものこえがする。

しゅみちととのえ、

そのみちすじをまっすぐにせよ。』」

そのとおり、4せんれいしゃヨハネがあらわれて、つみゆるしをさせるためにあらための洗礼〔バプテスマ〕つたえた。5ユダヤのぜんほうとエルサレムのじゅうみんみな、ヨハネのもとにて、つみこくはくし、ヨルダンがわかれから洗礼〔バプテスマ〕けた。6ヨハネはらくだのごろもこしかわおびめ、いなごとみつべていた。7かれはこうつたえた。「わたしよりもすぐれたかたが、あとからられる。わたしは、かがんでそのかたはきもののひもをちもない。8わたしはみずであなたたちに洗礼〔バプテスマ〕さずけたが、そのかたせいれい洗礼〔バプテスマ〕をおさずけになる。」

イエス、洗礼〔バプテスマ〕ける

(マタ3 1317、ルカ3 2122

9そのころ、イエスはガリラヤのナザレからて、ヨルダンがわでヨハネから洗礼〔バプテスマ〕けられた。10みずなかからがるとすぐ、てんけて〝れい〟がはとのようにぶんくだってるのを、らんになった。11すると、「あなたはわたしのあいする、わたしのこころかなもの」というこえが、てんからこえた。

ゆうわくける

(マタ4 111、ルカ4 113

12それから、〝れい〟はイエスをおくした。13イエスは四十にちかんそこにとどまり、サタンからゆうわくけられた。そのあいだじゅういっしょにおられたが、てん使たちがつかえていた。

ガリラヤででんどうはじめる

(マタ4 1217、ルカ4 1415

14ヨハネがらえられたのち、イエスはガリラヤへき、かみふくいんつたえて、15ときち、かみくにちかづいた。あらためてふくいんしんじなさい」とわれた。

にんりょうにする

(マタ4 1822、ルカ5 111

16イエスは、ガリラヤのほとりをあるいておられたとき、シモンとシモンのきょうだいアンデレがみずうみあみっているのをらんになった。かれらはりょうだった。17イエスは、「わたしについてなさい。にんげんをとるりょうにしよう」とわれた。18ふたはすぐにあみててしたがった。19また、すこすすんで、ゼベダイのヤコブとそのきょうだいヨハネが、ふねなかあみれをしているのをらんになると、20すぐにかれらをおびになった。このふたちちゼベダイをやとにんたちといっしょふねのこして、イエスのあとについてった。

けがれたれいりつかれたおとこをいやす

(ルカ4 3137

21いっこうはカファルナウムにいた。イエスは、あんそくかいどうはいっておしはじめられた。22ひとびとはそのおしえにじょうおどろいた。りっぽうがくしゃのようにではなく、けんあるものとしておおしえになったからである。23そのとき、このかいどうけがれたれいりつかれたおとこがいてさけんだ。24「ナザレのイエス、かまわないでくれ。われわれほろぼしにたのか。しょうたいかっている。かみせいじゃだ。」25イエスが、「だまれ。このひとからけ」とおしかりになると、26けがれたれいはそのひとにけいれんをこさせ、おおごえをあげてった。27ひとびとみなおどろいて、ろんった。「これはいったいどういうことなのだ。けんあるあたらしいおしえだ。このひとけがれたれいめいじると、そのうことをく。」28イエスのひょうばんは、たちまちガリラヤほうすみずみにまでひろまった。

おおくのびょうにんをいやす

(マタ8 1417、ルカ4 3841

29すぐに、いっこうかいどうて、シモンとアンデレのいえった。ヤコブとヨハネもいっしょであった。30シモンのしゅうとめがねつしてていたので、ひとびとさっそくかのじょのことをイエスにはなした。31イエスがそばにき、ってこされると、ねつり、かのじょいちどうをもてなした。32ゆうがたになってしずむと、ひとびとは、びょうにんあくれいりつかれたものみな、イエスのもとにれてた。33まちじゅうひとが、ぐちあつまった。34イエスは、いろいろなびょうにかかっているおおぜいひとたちをいやし、また、おおくのあくれいして、あくれいにものをうことをおゆるしにならなかった。あくれいはイエスをっていたからである。

じゅんかいしてせんきょうする

(ルカ4 4244

35あさはやくまだくらいうちに、イエスはきて、ひとざとはなれたところき、そこでいのっておられた。36シモンとそのなかはイエスのあとい、37つけると、「みんながさがしています」とった。38イエスはわれた。「ちかくのほかのまちむらこう。そこでも、わたしはせんきょうする。そのためにわたしはたのである。」39そして、ガリラヤじゅうかいどうき、せんきょうし、あくれいされた。

おもびょうわずらっているひとをいやす

(マタ8 14、ルカ5 1216

40さて、おもびょうわずらっているひとが、イエスのところにてひざまずいてねがい、「こころならば、わたしをきよくすることがおできになります」とった。41イエスがふかあわれんで、べてそのひとれ、「よろしい。きよくなれ」とわれると、42たちまちおもびょうり、そのひときよくなった。43イエスはすぐにそのひとらせようとし、きびしくちゅうして、44われた。「だれにも、なにはなさないようにをつけなさい。ただ、ってさいからだせ、モーセがさだめたものをきよめのためにささげて、ひとびとしょうめいしなさい。」45しかし、かれはそこをると、おおいにこのごとひとびとげ、ひろはじめた。それで、イエスはもはやこうぜんまちはいることができず、まちそとひとのいないところにおられた。それでも、ひとびとほうからイエスのところにあつまってた。

ちゅうひとをいやす

(マタ9 18、ルカ5 1726

2

1すうじつ、イエスがふたたびカファルナウムにられると、いえにおられることがわたり、2おおぜいひとあつまったので、ぐちあたりまですきまもないほどになった。イエスがことかたっておられると、3にんおとこちゅうひとはこんでた。4しかし、ぐんしゅうはばまれて、イエスのもとにれてくことができなかったので、イエスがおられるあたりのをはがしてあなをあけ、びょうにんているとこをつりろした。5イエスはそのひとたちのしんこうて、ちゅうひとに、「よ、あなたのつみゆるされる」とわれた。6ところが、そこにりっぽうがくしゃすうにんすわっていて、こころなかであれこれとかんがえた。7「このひとは、なぜこういうことをくちにするのか。かみぼうとくしている。かみおひとりのほかに、いったいだれが、つみゆるすことができるだろうか。」8イエスは、かれらがこころなかかんがえていることを、ぶんれいちからですぐにってわれた。「なぜ、そんなかんがえをこころいだくのか。9ちゅうひとに『あなたのつみゆるされる』とうのと、『きて、とこかついであるけ』とうのと、どちらがやさしいか。10ひとじょうつみゆるけんっていることをらせよう。」そして、ちゅうひとわれた。11「わたしはあなたにう。がり、とこかついでいえかえりなさい。」12そのひとがり、すぐにとこかついで、みなているまえった。ひとびとみなおどろき、「このようなことは、いままでたことがない」とって、かみさんした。

レビをにする

(マタ9 913、ルカ5 2732

13イエスは、ふたたみずうみのほとりにかれた。ぐんしゅうみなそばにあつまってたので、イエスはおしえられた。14そしてとおりがかりに、アルファイのレビがしゅうぜいしょすわっているのをかけて、「わたしにしたがいなさい」とわれた。かれがってイエスにしたがった。15イエスがレビのいえしょくせきいておられたときのことである。おおくのちょうぜいにんつみびともイエスやたちとどうせきしていた。じつおおぜいひとがいて、イエスにしたがっていたのである。16ファリサイりっぽうがくしゃは、イエスがつみびとちょうぜいにんいっしょしょくをされるのをて、たちに、「どうしてかれちょうぜいにんつみびといっしょしょくをするのか」とった。17イエスはこれをいてわれた。「しゃひつようとするのは、じょうひとではなくびょうにんである。わたしがたのは、ただしいひとまねくためではなく、つみびとまねくためである。」

だんじきについてのもんどう

(マタ9 1417、ルカ5 3339

18ヨハネのたちとファリサイひとびとは、だんじきしていた。そこで、ひとびとはイエスのところにった。「ヨハネのたちとファリサイたちはだんじきしているのに、なぜ、あなたのたちはだんじきしないのですか。」19イエスはわれた。「はな婿むこいっしょにいるのに、こんれいきゃくだんじきできるだろうか。はな婿むこいっしょにいるかぎり、だんじきはできない。20しかし、はな婿むこうばられるときる。そのには、かれらはだんじきすることになる。

21だれも、りたてのぬのからぬのれをって、ふるふくぎをてたりはしない。そんなことをすれば、あたらしいぬのれがふるふくき、やぶれはいっそうひどくなる。22また、だれも、あたらしいぶどうしゅふるかわぶくろれたりはしない。そんなことをすれば、ぶどうしゅかわぶくろやぶり、ぶどうしゅかわぶくろもだめになる。あたらしいぶどうしゅは、あたらしいかわぶくろれるものだ。」

あんそくむぎ

(マタ12 18、ルカ6 15

23あるあんそくに、イエスがむぎばたけとおってかれると、たちはあるきながらむぎはじめた。24ファリサイひとびとがイエスに、「らんなさい。なぜ、かれらはあんそくにしてはならないことをするのか」とった。25イエスはわれた。「ダビデが、ぶんともものたちも、ものがなくてくうふくだったときになにをしたか、一んだことがないのか。26アビアタルがだいさいであったとき、ダビデはかみいえはいり、さいのほかにはだれもべてはならないそなえのパンをべ、いっしょにいたものたちにもあたえたではないか。」27そしてさらわれた。「あんそくは、ひとのためにさだめられた。ひとあんそくのためにあるのではない。28だから、ひとあんそくしゅでもある。」

えたひとをいやす

(マタ12 914、ルカ6 611

3

1イエスはまたかいどうにおはいりになった。そこにかたえたひとがいた。2ひとびとはイエスうったえようとおもって、あんそくにこのひとびょうをいやされるかどうか、ちゅうもくしていた。3イエスはえたひとに、「なかちなさい」とわれた。4そしてひとびとにこうわれた。「あんそくりっぽうゆるされているのは、ぜんおこなうことか、あくおこなうことか。いのちすくうことか、ころすことか。」かれらはだまっていた。5そこで、イエスはいかってひとびとまわし、かれらのかたくななこころかなしみながら、そのひとに、「ばしなさい」とわれた。ばすと、もとどおりになった。6ファリサイひとびとき、さっそく、ヘロデひとびといっしょに、どのようにしてイエスをころそうかとそうだんはじめた。

みずうみきしぐんしゅう

7イエスはたちとともみずうみほうられた。ガリラヤからたおびただしいぐんしゅうしたがった。また、ユダヤ、8エルサレム、イドマヤ、ヨルダンがわこうがわ、ティルスやシドンのあたりからもおびただしいぐんしゅうが、イエスのしておられることをのこらずいて、そばにあつまってた。9そこで、イエスはたちにぶねようしてほしいとわれた。ぐんしゅうしつぶされないためである。10イエスがおおくのびょうにんをいやされたので、びょうなやひとたちがみな、イエスにれようとして、そばにせたからであった。11けがれたれいどもは、イエスをるとひれして、「あなたはかみだ」とさけんだ。12イエスは、ぶんのことをいふらさないようにとれいどもをきびしくいましめられた。

十二にんえら

(マタ10 14、ルカ6 1216

13イエスがやまのぼって、これとおもひとびとせられると、かれらはそばにあつまってた。14そこで、十二にんにんめいし、使けられた。かれらをぶんのそばにくため、また、けんしてせんきょうさせ、15あくれいけんのうたせるためであった。16こうして十二にんにんめいされた。シモンにはペトロというけられた。17ゼベダイのヤコブとヤコブのきょうだいヨハネ、このふたにはボアネルゲス、すなわち、「かみなりら」というけられた。18アンデレ、フィリポ、バルトロマイ、マタイ、トマス、アルファイのヤコブ、タダイ、ねっしんとうのシモン、19それに、イスカリオテのユダ。このユダがイエスをうらったのである。

ベルゼブルろんそう

(マタ12 2232、ルカ11 142312 10

20イエスがいえかえられると、ぐんしゅうがまたあつまってて、いちどうしょくをするひまもないほどであった。21うちひとたちはイエスのことをいてさえにた。「あのおとこへんになっている」とわれていたからである。22エルサレムからくだってりっぽうがくしゃたちも、「あのおとこはベルゼブルにりつかれている」とい、また、「あくれいかしらちからあくれいしている」とっていた。23そこで、イエスはかれらをせて、たとえをもちいてかたられた。「どうして、サタンがサタンをせよう。24くにうちあらそえば、そのくにたない。25いえうちあらそえば、そのいえたない。26おなじように、サタンがうちもめしてあらそえば、かず、ほろびてしまう。27また、まずつよひとしばげなければ、だれも、そのひといえって、ざいどううばることはできない。まずしばってから、そのいえりゃくだつするものだ。28はっきりっておく。ひとらがおかつみやどんなぼうとくことも、すべてゆるされる。29しかし、せいれいぼうとくするものえいえんゆるされず、えいえんつみめをう。」30イエスがこうわれたのは、「かれけがれたれいりつかれている」とひとびとっていたからである。

イエスのははきょうだい

(マタ12 4650、ルカ8 1921

31イエスのははきょうだいたちがそとち、ひとをやってイエスをばせた。32おおぜいひとが、イエスのまわりにすわっていた。「らんなさい。ははうえきょうだいまいがたがそとであなたをさがしておられます」とらされると、33イエスは、「わたしのはは、わたしのきょうだいとはだれか」とこたえ、34まわりにすわっているひとびとまわしてわれた。「なさい。ここにわたしのはは、わたしのきょうだいがいる。35かみこころおこなひとこそ、わたしのきょうだいまい、またははなのだ。」

たねひと」のたとえ

(マタ13 19、ルカ8 48

4

1イエスは、ふたたみずうみのほとりでおしはじめられた。おびただしいぐんしゅうが、そばにあつまってた。そこで、イエスはふねってこしろし、みずうみうえにおられたが、ぐんしゅうみなはんにいた。2イエスはたとえでいろいろとおしえられ、そのなかつぎのようにわれた。3「よくきなさい。たねひとたねきにった。4いているあいだに、あるたねみちばたち、とりべてしまった。5ほかのたねは、いしだらけでつちすくないところち、そこはつちあさいのですぐした。6しかし、のぼるとけて、がないためにれてしまった。7ほかのたねいばらなかちた。するといばらびておおいふさいだので、むすばなかった。8また、ほかのたねち、え、そだってむすび、あるものは三十ばい、あるものは六十ばい、あるものは百ばいにもなった。」9そして、「みみのあるものきなさい」とわれた。

たとえをもちいてはなゆう

(マタ13 1017、ルカ8 910

10イエスがひとりになられたとき、十二にんと、イエスのまわりにいたひとたちとが、たとえについてたずねた。11そこで、イエスはわれた。「あなたがたにはかみくにみつけられているが、そとひとびとには、すべてがたとえでしめされる。12それは、

かれらがるにはるが、みとめず、

くにはくが、かいできず、

こうして、かえってゆるされることがない』

ようになるためである。」

たねひと」のたとえのせつめい

(マタ13 1823、ルカ8 1115

13また、イエスはわれた。「このたとえがからないのか。では、どうしてほかのたとえがかいできるだろうか。14たねひとは、かみことくのである。15みちばたのものとは、こういうひとたちである。そこにことかれ、それをいても、すぐにサタンがて、かれらにかれたことうばる。16いしだらけのところかれるものとは、こういうひとたちである。ことくとすぐよろこんでれるが、17ぶんにはがないので、しばらくはつづいても、あとことのためにかんなんはくがいこると、すぐにつまずいてしまう。18また、ほかのひとたちはいばらなかかれるものである。このひとたちはことくが、19このおもわずらいやとみゆうわく、そのいろいろなよくぼうこころはいみ、ことおおいふさいでみのらない。20かれたものとは、こといてれるひとたちであり、あるものは三十ばい、あるものは六十ばい、あるものは百ばいむすぶのである。」

「ともし」と「はかり」のたとえ

(ルカ8 1618

21また、イエスはわれた。「ともしってるのは、ますしたしんだいしたくためだろうか。しょくだいうえくためではないか。22かくれているもので、あらわにならないものはなく、められたもので、おおやけにならないものはない。23みみのあるものきなさい。」

24また、かれらにわれた。「なにいているかにちゅうしなさい。あなたがたはぶんはかはかりはかあたえられ、さらにたくさんあたえられる。25っているひとさらあたえられ、っていないひとっているものまでもげられる。」

せいちょうするたね」のたとえ

26また、イエスはわれた。「かみくにつぎのようなものである。ひとつちたねいて、27よるひるきしているうちに、たねしてせいちょうするが、どうしてそうなるのか、そのひとらない。28つちはひとりでにむすばせるのであり、まずくきつぎ、そしてそのにはゆたかなができる。29じゅくすと、さっそくかまれる。しゅうかくときたからである。」

「からしだね」のたとえ

(マタ13 3132、ルカ13 1819

30さらに、イエスはわれた。「かみくになににたとえようか。どのようなたとえでしめそうか。31それは、からしだねのようなものである。つちくときには、じょうのどんなたねよりもちいさいが、32くと、せいちょうしてどんなさいよりもおおきくなり、かげそらとりつくれるほどおおきなえだる。」

たとえをもちいてかた

(マタ13 3435

33イエスは、ひとびとちからおうじて、このようにおおくのたとえでことかたられた。34たとえをもちいずにかたることはなかったが、ぶんたちにはひそかにすべてをせつめいされた。

とっぷうしずめる

(マタ8 2327、ルカ8 2225

35そのゆうがたになって、イエスは、「こうぎしわたろう」とたちにわれた。36そこで、たちはぐんしゅうあとのこし、イエスをふねせたまました。ほかのふねいっしょであった。37はげしいとっぷうこり、ふねなみをかぶって、みずびたしになるほどであった。38しかし、イエスはともほうまくらをしてねむっておられた。たちはイエスをこして、「せんせい、わたしたちがおぼれてもかまわないのですか」とった。39イエスはがって、かぜしかり、みずうみに、「だまれ。しずまれ」とわれた。すると、かぜはやみ、すっかりなぎになった。40イエスはわれた。「なぜこわがるのか。まだしんじないのか。」41たちはじょうおそれて、「いったい、このかたはどなたなのだろう。かぜみずうみさえもしたがうではないか」とたがいにった。

あくれいりつかれたゲラサのひとをいやす

(マタ8 2834、ルカ8 2639

5

1いっこうは、みずうみこうぎしにあるゲラサじんほういた。2イエスがふねからがられるとすぐに、けがれたれいりつかれたひとはかからやってた。3このひとはかまいとしており、もはやだれも、くさりもちいてさえつなぎとめておくことはできなかった。4これまでにもたびたびあしかせくさりしばられたが、くさりきちぎりあしかせくだいてしまい、だれもかれしばっておくことはできなかったのである。5かれひるよるはかやまさけんだり、いしぶんちたたいたりしていた。6イエスをとおくからると、はしってひれし、7おおごえさけんだ。「いとたかかみイエス、かまわないでくれ。しょうだから、くるしめないでほしい。」8イエスが、「けがれたれい、このひとからけ」とわれたからである。9そこで、イエスが、「なんというのか」とおたずねになると、「はレギオン。おおぜいだから」とった。10そして、ぶんたちをこのほうからさないようにと、イエスにしきりにねがった。

11ところで、そのあたりのやまぶたたいぐんがえさをあさっていた。12けがれたれいどもはイエスに、「ぶたなかおくみ、うつらせてくれ」とねがった。13イエスがおゆるしになったので、けがれたれいどもはて、ぶたなかはいった。すると、二千びきほどのぶたれががけくだってみずうみになだれみ、みずうみなかつぎつぎとおぼれんだ。14ぶたいたちはし、まちむらにこのことをらせた。ひとびとなにこったのかとた。15かれらはイエスのところにると、レギオンにりつかれていたひとふくしょうになってすわっているのをて、おそろしくなった。16きをていたひとたちは、あくれいりつかれたひとこったこととぶたのことをひとびとかたった。17そこで、ひとびとはイエスにそのほうからってもらいたいといだした。18イエスがふねられると、あくれいりつかれていたひとが、いっしょきたいとねがった。19イエスはそれをゆるさないで、こうわれた。「ぶんいえかえりなさい。そしてうちひとに、しゅがあなたをあわれみ、あなたにしてくださったことをことごとくらせなさい。」20そのひとり、イエスがぶんにしてくださったことをことごとくデカポリスほうひろはじめた。ひとびとみなおどろいた。

ヤイロのむすめとイエスのふくれるおんな

(マタ9 1826、ルカ8 4056

21イエスがふねってふたたこうぎしわたられると、おおぜいぐんしゅうがそばにあつまってた。イエスはみずうみのほとりにおられた。22かいどうちょうひとでヤイロというひとて、イエスをるとあしもとにひれして、23しきりにねがった。「わたしのおさなむすめにそうです。どうか、おいでになっていてやってください。そうすれば、むすめたすかり、きるでしょう。」24そこで、イエスはヤイロといっしょかけてかれた。

おおぜいぐんしゅうも、イエスにしたがい、せまってた。25さて、ここに十二ねんかんしゅっけつまらないおんながいた。26おおくのしゃにかかって、ひどくくるしめられ、ぜんざいさん使つかたしてもなんやくにもたず、ますますわるくなるだけであった。27イエスのことをいて、ぐんしゅうなかまぎみ、うしろからイエスのふくれた。28「このかたふくにでもれればいやしていただける」とおもったからである。29すると、すぐしゅっけつまったまってびょうがいやされたことをからだかんじた。30イエスは、ぶんうちからちからったことにづいて、ぐんしゅうなかかえり、「わたしのふくれたのはだれか」とわれた。31そこで、たちはった。「ぐんしゅうがあなたにせまっているのがおかりでしょう。それなのに、『だれがわたしにれたのか』とおっしゃるのですか。」32しかし、イエスは、れたものつけようと、あたりをまわしておられた。33おんなぶんこったことをっておそろしくなり、ふるえながらすすてひれし、すべてをありのままはなした。34イエスはわれた。「むすめよ、あなたのしんこうがあなたをすくった。あんしんしてきなさい。もうそのびょうにかからず、げんらしなさい。」

35イエスがまだはなしておられるときに、かいどうちょういえからひとびとった。「おじょうさんはくなりました。もう、せんせいわずらわすにはおよばないでしょう。」36イエスはそのはなしをそばでいて、「おそれることはない。ただしんじなさい」とかいどうちょうわれた。37そして、ペトロ、ヤコブ、またヤコブのきょうだいヨハネのほかは、だれもついてることをおゆるしにならなかった。38いっこうかいどうちょういえいた。イエスはひとびとおおごえきわめいてさわいでいるのをて、39いえなかはいり、ひとびとわれた。「なぜ、さわぐのか。どもんだのではない。ねむっているのだ。」40ひとびとはイエスをあざわらった。しかし、イエスはみなそとし、どもりょうしんと三にんだけをれて、どものいるところはいってかれた。41そして、どもって、「タリタ、クム」とわれた。これは、「しょうじょよ、わたしはあなたにう。きなさい」というである。42しょうじょはすぐにがって、あるきだした。もう十二さいになっていたからである。それをるや、ひとびとおどろきのあまりわれわすれた。43イエスはこのことをだれにもらせないようにときびしくめいじ、また、ものしょうじょあたえるようにとわれた。

ナザレでれられない

(マタ13 5358、ルカ4 1630

6

1イエスはそこをってきょうにおかえりになったが、たちもしたがった。2あんそくになったので、イエスはかいどうおしはじめられた。おおくのひとびとはそれをいて、おどろいてった。「このひとは、このようなことをどこからたのだろう。このひとさずかったと、そのおこなわれるこのようなせきはいったいなにか。3このひとは、だいではないか。マリアのむすで、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンのきょうだいではないか。まいたちは、ここでわれわれいっしょんでいるではないか。」このように、ひとびとはイエスにつまずいた。4イエスは、「げんしゃうやまわれないのは、ぶんきょうしんせきぞくあいだだけである」とわれた。5そこでは、ごくわずかのびょうにんいていやされただけで、そのほかはなにせきおこなうことがおできにならなかった。6そして、ひとびとしんこうおどろかれた。

十二にんけんする

(マタ10 1515、ルカ9 16

それから、イエスはきんむらめぐあるいておおしえになった。7そして、十二にんせ、ふたずつくみにしてつかわすことにされた。そのさいけがれたれいたいするけんのうさずけ、8たびにはつえぽんのほかなにたず、パンも、ふくろも、またおびなかかねたず、9ただはきものくように、そして「したは二まいてはならない」とめいじられた。10また、こうもわれた。「どこでも、あるいえはいったら、そのからたびつときまで、そのいえにとどまりなさい。11しかし、あなたがたをむかれず、あなたがたにみみかたむけようともしないところがあったら、そこをていくとき、かれらへのあかしとしてあしうらほこりはらとしなさい。」12十二にんかけてって、あらためさせるためにせんきょうした。13そして、おおくのあくれいし、あぶらっておおくのびょうにんをいやした。

せんれいしゃヨハネ、ころされる

(マタ14 112、ルカ9 79

14イエスのわたったので、ヘロデおうみみにもはいった。ひとびとっていた。「せんれいしゃヨハネがしゃなかからかえったのだ。だから、せきおこなちからかれはたらいている。」15そのほかにも、「かれはエリヤだ」とひともいれば、「むかしげんしゃのようなげんしゃだ」とひともいた。16ところが、ヘロデはこれをいて、「わたしがくびをはねたあのヨハネが、かえったのだ」とった。17じつは、ヘロデは、ぶんきょうだいフィリポのつまヘロディアとけっこんしており、そのことでひとをやってヨハネをらえさせ、ろうにつないでいた。18ヨハネが、「ぶんきょうだいつまけっこんすることは、りっぽうゆるされていない」とヘロデにったからである。19そこで、ヘロディアはヨハネをうらみ、かれころそうとおもっていたが、できないでいた。20なぜなら、ヘロデが、ヨハネはただしいせいなるひとであることをって、かれおそれ、し、また、そのおしえをいてじょうとうわくしながらも、なおよろこんでみみかたむけていたからである。21ところが、かいおとずれた。ヘロデが、ぶんたんじょういわいにこうかんしょうこう、ガリラヤのゆうりょくしゃなどをまねいてえんかいもよおすと、22ヘロディアのむすめはいっておどりをおどり、ヘロデとそのきゃくよろこばせた。そこで、おうしょうじょに、「しいものがあればなんでもいなさい。おまえにやろう」とい、23さらに、「おまえねがうなら、このくにはんぶんでもやろう」とかたちかったのである。24しょうじょはずして、ははおやに、「なにねがいましょうか」とうと、ははおやは、「せんれいしゃヨハネのくびを」とった。25さっそくしょうじょおおいそぎでおうのところにき、「いますぐにせんれいしゃヨハネのくびぼんせて、いただきとうございます」とねがった。26おうじょうこころいためたが、ちかったことではあるし、またきゃくまえしょうじょねがいを退しりぞけたくなかった。27そこで、おうえいへいつかわし、ヨハネのくびってるようにとめいじた。えいへいき、ろうなかでヨハネのくびをはね、28ぼんせてってしょうじょわたし、しょうじょはそれをははおやわたした。29ヨハネのたちはこのことをき、やってて、たいり、はかおさめた。

五千にんものあたえる

(マタ14 1321、ルカ9 1017、ヨハ6 114

30さて、使たちはイエスのところにあつまってて、ぶんたちがおこなったことやおしえたことをのこらずほうこくした。31イエスは、「さあ、あなたがただけでひとざとはなれたところって、しばらくやすむがよい」とわれた。りするひとおおくて、しょくをするひまもなかったからである。32そこで、いちどうふねって、ぶんたちだけでひとざとはなれたところった。33ところが、おおくのひとびとかれらがかけてくのをて、それとづき、すべてのまちからそこへいっせいけつけ、かれらよりさきいた。34イエスはふねからがり、おおぜいぐんしゅうて、ぬしのいないひつじのようなありさまふかあわれみ、いろいろとおしはじめられた。35そのうち、ときもだいぶたったので、たちがイエスのそばにった。「ここはひとざとはなれたところで、かんもだいぶたちました。36ひとびとかいさんさせてください。そうすれば、ぶんまわりのさとむらへ、なにべるものいにくでしょう。」37これにたいしてイエスは、「あなたがたがかれらにものあたえなさい」とおこたえになった。たちは、「わたしたちが二百デナリオンものパンをってて、みんなにべさせるのですか」とった。38イエスはわれた。「パンはいくつあるのか。なさい。」たちはたしかめてて、った。「五つあります。それにさかなが二ひきです。」39そこで、イエスはたちに、みなくみけて、あおくさうえすわらせるようにおめいじになった。40ひとびとは、百にん、五十にんずつまとまってこしろした。41イエスは五つのパンと二ひきさかなり、てんあおいでさんいのりをとなえ、パンをいて、たちにわたしてはくばらせ、二ひきさかなみなぶんぱいされた。42すべてのひとべてまんぷくした。43そして、パンのくずさかなのこりをあつめると、十二のかごにいっぱいになった。44パンをべたひとおとこが五千にんであった。

みずうみうえある

(マタ14 2233、ヨハ6 1521

45それからすぐ、イエスはたちをいてふねせ、こうぎしのベトサイダへさきかせ、そのあいだぶんぐんしゅうかいさんさせられた。46ぐんしゅうわかれてから、いのるためにやまかれた。47ゆうがたになると、ふねみずうみなかていたが、イエスだけはりくにおられた。48ところが、ぎゃくふうのためにたちがなやんでいるのをて、けるころ、みずうみうえあるいてたちのところにき、そばをとおぎようとされた。49たちは、イエスがじょうあるいておられるのをて、ゆうれいだとおもい、おおごえさけんだ。50みなはイエスをておびえたのである。しかし、イエスはすぐかれらとはなはじめて、「あんしんしなさい。わたしだ。おそれることはない」とわれた。51イエスがふねまれると、かぜしずまり、たちはこころなかじょうおどろいた。52パンのごとかいせず、こころにぶくなっていたからである。

ゲネサレトでびょうにんをいやす

(マタ14 3436

53こうして、いっこうみずうみわたり、ゲネサレトといういてふねをつないだ。54いっこうふねからがると、すぐにひとびとはイエスとって、55そのほうをくまなくはしまわり、どこでもイエスがおられるとけば、そこへびょうにんとこせてはこはじめた。56むらでもまちでもさとでも、イエスがはいってかれると、びょうにんひろき、せめてそのふくのすそにでもれさせてほしいとねがった。れたものみないやされた。

むかしひとつた

(マタ15 120

7

1ファリサイひとびとすうにんりっぽうがくしゃたちが、エルサレムからて、イエスのもとにあつまった。2そして、イエスのたちのなかけがれた、つまりあらわないしょくをするものがいるのをた。3──ファリサイひとびとをはじめユダヤじんみなむかしひとつたえをかたまもって、ねんりにあらってからでないとしょくをせず、4また、いちからかえったときには、きよめてからでないとしょくをしない。そのほか、さかずきはちどううつわしんだいあらうことなど、むかしからいでかたまもっていることがたくさんある。──5そこで、ファリサイひとびとりっぽうがくしゃたちがたずねた。「なぜ、あなたのたちはむかしひとつたえにしたがってあゆまず、けがれたしょくをするのですか。」6イエスはわれた。「イザヤは、あなたたちのようなぜんしゃのことをごとげんしたものだ。かれはこういている。

『このたみくちさきではわたしをうやまうが、

そのこころはわたしからとおはなれている。

7にんげんいましめをおしえとしておしえ、

むなしくわたしをあがめている。』

8あなたたちはかみおきててて、にんげんつたえをかたまもっている。」9さらに、イエスはわれた。「あなたたちはぶんつたえをだいにして、よくもかみおきてをないがしろにしたものである。10モーセは、『ちちははうやまえ』とい、『ちちまたはははをののしるものけいしょせられるべきである』ともっている。11それなのに、あなたたちはっている。『もし、だれかがちちまたはははたいして、「あなたにげるべきものは、なんでもコルバン、つまりかみへのそなものです」とえば、12そのひとはもはやちちまたはははたいしてなにもしないでむのだ』と。13こうして、あなたたちは、いだつたえでかみことにしている。また、これとおなじようなことをたくさんおこなっている。」

14それから、イエスはふたたぐんしゅうせてわれた。「みな、わたしのうことをいてさとりなさい。15そとからひとからだはいるものでひとけがすことができるものはなにもなく、ひとなかからるものが、ひとけがすのである。」 17イエスがぐんしゅうわかれていえはいられると、たちはこのたとえについてたずねた。18イエスはわれた。「あなたがたも、そんなにものかりがわるいのか。すべてそとからひとからだはいるものは、ひとけがすことができないことがからないのか。19それはひとこころなかはいるのではなく、はらなかはいり、そしてそとされる。こうして、すべてのものきよめられる。」20さらに、つぎのようにわれた。「ひとからるものこそ、ひとけがす。21なかから、つまりにんげんこころから、わるおもいがるからである。みだらなおこない、ぬすみ、さつ22かんいんどんよくあくこうしょく、ねたみ、あっこうごうまんふんべつなど、23これらのあくはみななかからて、ひとけがすのである。」

シリア・フェニキアのおんなしんこう

(マタ15 2128

24イエスはそこをって、ティルスのほうかれた。あるいえはいり、だれにもられたくないとおもっておられたが、ひとびとづかれてしまった。25けがれたれいりつかれたおさなむすめおんなが、すぐにイエスのことをきつけ、てそのあしもとにひれした。26おんなはギリシアじんでシリア・フェニキアのまれであったが、むすめからあくれいしてくださいとたのんだ。27イエスはわれた。「まず、どもたちにじゅうぶんべさせなければならない。どもたちのパンをって、いぬにやってはいけない。」28ところが、おんなこたえてった。「しゅよ、しかし、しょくたくしたいぬも、どものパンくずはいただきます。」29そこで、イエスはわれた。「それほどうなら、よろしい。いえかえりなさい。あくれいはあなたのむすめからもうてしまった。」30おんないえかえってみると、そのとこうえており、あくれいてしまっていた。

みみこえずしたまわらないひとをいやす

31それからまた、イエスはティルスのほうり、シドンをてデカポリスほうとおけ、ガリラヤへやってられた。32ひとびとみみこえずしたまわらないひとれてて、そのうえいてくださるようにとねがった。33そこで、イエスはこのひとだけをぐんしゅうなかからし、ゆびをそのりょうみみれ、それからつばをつけてそのしたれられた。34そして、てんあおいでふかいきをつき、そのひとかって、「エッファタ」とわれた。これは、「ひらけ」というである。35すると、たちまちみみひらき、したのもつれがけ、はっきりはなすことができるようになった。36イエスはひとびとに、だれにもこのことをはなしてはいけない、とくちめをされた。しかし、イエスがくちめをされればされるほど、ひとびとはかえってますますひろめた。37そして、すっかりおどろった。「このかたのなさったことはすべて、すばらしい。みみこえないひとこえるようにし、くちけないひとはなせるようにしてくださる。」

四千にんものあたえる

(マタ15 3239

8

1そのころ、またぐんしゅうおおぜいいて、なにべるものがなかったので、イエスはたちをせてわれた。2ぐんしゅうがかわいそうだ。もうみっもわたしといっしょにいるのに、ものがない。3くうふくのままいえかえらせると、ちゅうつかれきってしまうだろう。なかにはとおくからているものもいる。」4たちはこたえた。「こんなひとざとはなれたところで、いったいどこからパンをれて、これだけのひとじゅうぶんべさせることができるでしょうか。」5イエスが「パンはいくつあるか」とおたずねになると、たちは、「七つあります」とった。6そこで、イエスはめんすわるようにぐんしゅうめいじ、七つのパンをり、かんしゃいのりをとなえてこれをき、ひとびとくばるようにとたちにおわたしになった。たちはぐんしゅうくばった。7また、ちいさいさかなすこしあったので、さんいのりをとなえて、それもくばるようにとわれた。8ひとびとべてまんぷくしたが、のこったパンのくずあつめると、七かごになった。9およそ四千にんひとがいた。イエスはかれらをかいさんさせられた。10それからすぐに、たちとともふねって、ダルマヌタのほうかれた。

ひとびとはしるしをしがる

(マタ16 14

11ファリサイひとびとて、イエスをためそうとして、てんからのしるしをもとめ、ろんをしかけた。12イエスは、こころなかふかなげいてわれた。「どうして、いまだいものたちはしるしをしがるのだろう。はっきりっておく。いまだいものたちには、けっしてしるしはあたえられない。」13そして、かれらをそのままにして、またふねってこうぎしかれた。

ファリサイひとびととヘロデのパンだね

(マタ16 512

14たちはパンをってるのをわすれ、ふねなかには一つのパンしかわせていなかった。15そのとき、イエスは、「ファリサイひとびとのパンだねとヘロデのパンだねによくをつけなさい」といましめられた。16たちは、これはぶんたちがパンをっていないからなのだ、とろんっていた。17イエスはそれにづいてわれた。「なぜ、パンをっていないことでろんするのか。まだ、からないのか。さとらないのか。こころがかたくなになっているのか。18があってもえないのか。みみがあってもこえないのか。おぼえていないのか。19わたしが五千にんに五つのパンをいたとき、あつめたパンのくずでいっぱいになったかごは、いくつあったか。」たちは、「十二です」とった。20「七つのパンを四千にんいたときには、あつめたパンのくずでいっぱいになったかごは、いくつあったか。」「七つです」とうと、21イエスは、「まださとらないのか」とわれた。

ベトサイダでもうじんをいやす

22いっこうはベトサイダにいた。ひとびとひともうじんをイエスのところにれてて、れていただきたいとねがった。23イエスはもうじんって、むらそとし、そのつばをつけ、りょうをそのひとうえいて、「なにえるか」とおたずねになった。24すると、もうじんえるようになって、った。「ひとえます。のようですが、あるいているのがかります。」25そこで、イエスがもう一りょうをそのてられると、よくえてきていやされ、なんでもはっきりえるようになった。26イエスは、「このむらはいってはいけない」とって、そのひといえかえされた。

ペトロ、しんこうあらわ

(マタ16 1320、ルカ9 1821

27イエスは、たちとフィリポ・カイサリアほうほうぼうむらにおかけになった。そのちゅうたちに、「ひとびとは、わたしのことをなにものだとっているか」とわれた。28たちはった。「『せんれいしゃヨハネだ』とっています。ほかに、『エリヤだ』とひとも、『げんしゃひとだ』とひともいます。」29そこでイエスがおたずねになった。「それでは、あなたがたはわたしをなにものだとうのか。」ペトロがこたえた。「あなたは、メシアです。」30するとイエスは、ぶんのことをだれにもはなさないようにとたちをいましめられた。

イエス、ふっかつこくする

(マタ16 2128、ルカ9 2227

31それからイエスは、ひとかならおおくのくるしみをけ、ちょうろうさいちょうりっぽうがくしゃたちからはいせきされてころされ、みっのちふっかつすることになっている、とたちにおしはじめられた。32しかも、そのことをはっきりとおはなしになった。すると、ペトロはイエスをわきへおれして、いさめはじめた。33イエスはかえって、たちをながら、ペトロをしかってわれた。「サタン、がれ。あなたはかみのことをおもわず、にんげんのことをおもっている。」34それから、ぐんしゅうたちとともせてわれた。「わたしのあとしたがいたいものは、ぶんて、ぶんじゅうって、わたしにしたがいなさい。35ぶんいのちすくいたいとおもものは、それをうしなうが、わたしのため、またふくいんのためにいのちうしなものは、それをすくうのである。36ひとは、たとえぜんかいれても、ぶんいのちうしなったら、なんとくがあろうか。37ぶんいのちもどすのに、どんなだいはらえようか。38かみそむいたこのつみぶかだいに、わたしとわたしのことじるものは、ひともまた、ちちえいこうかがやいてせいなるてん使たちとともるときに、そのものじる。」

91また、イエスはわれた。「はっきりっておく。ここにいっしょにいるひとびとなかは、かみくにちからにあふれてあらわれるのをるまでは、けっしてなないものがいる。」

イエスの姿すがたわる

(マタ17 113、ルカ9 2836

2むいのち、イエスは、ただペトロ、ヤコブ、ヨハネだけをれて、たかやまのぼられた。イエスの姿すがたかれらのまえわり、3ふくしろかがやき、こののどんなさらししょくにんうでおよばぬほどしろくなった。4エリヤがモーセとともあらわれて、イエスとかたっていた。5ペトロがくちをはさんでイエスにった。「せんせい、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。かりを三つてましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです。」6ペトロは、どうえばよいのか、からなかった。たちはじょうおそれていたのである。7すると、くもあらわれてかれらをおおい、くもなかからこえがした。「これはわたしのあいする。これにけ。」8たちはいそいであたりをまわしたが、もはやだれもえず、ただイエスだけがかれらといっしょにおられた。

9いちどうやまりるとき、イエスは、「ひとしゃなかからふっかつするまでは、いまたことをだれにもはなしてはいけない」とたちにめいじられた。10かれらはこのことこころめて、しゃなかからふっかつするとはどういうことかとろんった。11そして、イエスに、「なぜ、りっぽうがくしゃは、まずエリヤがるはずだとっているのでしょうか」とたずねた。12イエスはわれた。「たしかに、まずエリヤがて、すべてをもとどおりにする。それなら、ひとくるしみをかさね、はずかしめをけるとせいしょいてあるのはなぜか。13しかし、っておく。エリヤはたが、かれについてせいしょいてあるように、ひとびときなようにあしらったのである。」

けがれたれいりつかれたをいやす

(マタ17 1420、ルカ9 3743a

14いちどうがほかのたちのところにてみると、かれらはおおぜいぐんしゅうかこまれて、りっぽうがくしゃたちとろんしていた。15ぐんしゅうみな、イエスをつけてじょうおどろき、ってあいさつした。16イエスが、「なにろんしているのか」とおたずねになると、17ぐんしゅうなかのあるものこたえた。「せんせいむすをおそばにれてまいりました。このれいりつかれて、ものがえません。18れいがこのりつくと、ところかまわずめんたおすのです。すると、このくちからあわし、ぎしりしてからだをこわばらせてしまいます。このれいしてくださるようにおたちにもうしましたが、できませんでした。」19イエスはおこたえになった。「なんとしんこうのないだいなのか。いつまでわたしはあなたがたとともにいられようか。いつまで、あなたがたにまんしなければならないのか。そのをわたしのところにれてなさい。」20ひとびとむすをイエスのところにれてた。れいは、イエスをると、すぐにそのきつけさせた。そのめんたおれ、ころまわってあわいた。21イエスはちちおやに、「このようになったのは、いつごろからか」とおたずねになった。ちちおやった。「おさなときからです。22れいむすころそうとして、もうなんなかみずなかみました。おできになるなら、わたしどもをあわれんでおたすけください。」23イエスはわれた。「『できれば』とうか。しんじるものにはなんでもできる。」24そのちちおやはすぐにさけんだ。「しんじます。しんこうのないわたしをおたすけください。」25イエスは、ぐんしゅうはしってるのをると、けがれたれいをおしかりになった。「ものもわせず、みみこえさせないれい、わたしのめいれいだ。このからけ。二とこのなかはいるな。」26すると、れいさけごえをあげ、ひどくきつけさせてった。そのんだようになったので、おおくのものが、「んでしまった」とった。27しかし、イエスがってこされると、がった。28イエスがいえなかはいられると、たちはひそかに、「なぜ、わたしたちはあのれいせなかったのでしょうか」とたずねた。29イエスは、「このしゅのものは、いのりによらなければけっしてすことはできないのだ」とわれた。

ふたたぶんふっかつこくする

(マタ17 2223、ルカ9 43b45

30いっこうはそこをって、ガリラヤをとおってった。しかし、イエスはひとづかれるのをこのまれなかった。31それはたちに、「ひとは、ひとびとわたされ、ころされる。ころされてみっのちふっかつする」とっておられたからである。32たちはこのことからなかったが、こわくてたずねられなかった。

いちばんえらもの

(マタ18 15、ルカ9 4648

33いっこうはカファルナウムにた。いえいてから、イエスはたちに、「ちゅうなにろんしていたのか」とおたずねになった。34かれらはだまっていた。ちゅうでだれがいちばんえらいかとろんっていたからである。35イエスがすわり、十二にんせてわれた。「いちばんさきになりたいものは、すべてのひとあとになり、すべてのひとつかえるものになりなさい。」36そして、ひとどもってかれらのなかたせ、げてわれた。37「わたしののためにこのようなどもひとれるものは、わたしをれるのである。わたしをれるものは、わたしではなくて、わたしをおつかわしになったかたれるのである。」

さからわないものかた

(ルカ9 4950

38ヨハネがイエスにった。「せんせい、おまえ使つかってあくれいしているものましたが、わたしたちにしたがわないので、やめさせようとしました。」39イエスはわれた。「やめさせてはならない。わたしの使つかってせきおこない、そのすぐあとで、わたしのわるくちえまい。40わたしたちにさからわないものは、わたしたちのかたなのである。41はっきりっておく。キリストのだというゆうで、あなたがたに一ぱいみずませてくれるものは、かならずそのむくいをける。」

つみへのゆうわく

(マタ18 69、ルカ17 12

42「わたしをしんじるこれらのちいさなものひとをつまずかせるものは、おおきないしうすくびけられて、うみまれてしまうほうがはるかによい。43もしかたほうがあなたをつまずかせるなら、ててしまいなさい。りょうがそろったままごくえないなかちるよりは、かたになってもいのちにあずかるほうがよい。 45もしかたほうあしがあなたをつまずかせるなら、ててしまいなさい。りょうあしがそろったままでごくまれるよりは、かたあしになってもいのちにあずかるほうがよい。 47もしかたほうがあなたをつまずかせるなら、えぐりしなさい。りょうほうがそろったままごくまれるよりは、一つのになってもかみくにはいほうがよい。48ごくではうじきることも、えることもない。49ひとみなしおあじけられる。50しおいものである。だが、しおしおがなくなれば、あなたがたはなにによってしおあじけるのか。ぶんしんうちしおちなさい。そして、たがいにへいごしなさい。」

えんについておしえる

(マタ19 112

10

1イエスはそこをって、ユダヤほうとヨルダンがわこうがわかれた。ぐんしゅうがまたあつまってたので、イエスはふたたびいつものようにおしえておられた。2ファリサイひとびとちかって、「おっとつまえんすることは、りっぽうかなっているでしょうか」とたずねた。イエスをためそうとしたのである。3イエスは、「モーセはあなたたちになんめいじたか」とかえされた。4かれらは、「モーセは、えんじょういてえんすることをゆるしました」とった。5イエスはわれた。「あなたたちのこころがんなので、このようなおきてをモーセはいたのだ。6しかし、てんそうぞうはじめから、かみひとおとこおんなとにおつくりになった。7それゆえ、ひとはなれてそのつまむすばれ、8ふたいったいとなる。だからふたはもはやべつべつではなく、いったいである。9したがって、かみむすわせてくださったものを、ひとはなしてはならない。」10いえもどってから、たちがまたこのことについてたずねた。11イエスはわれた。「つまえんしておんなつまにするものは、つまたいしてかんつうつみおかすことになる。12おっとえんしておとこおっとにするものも、かんつうつみおかすことになる。」

どもしゅくふくする

(マタ19 1315、ルカ18 1517

13イエスにれていただくために、ひとびとどもたちをれてた。たちはこのひとびとしかった。14しかし、イエスはこれをいきどおり、たちにわれた。「どもたちをわたしのところにさせなさい。さまたげてはならない。かみくにはこのようなものたちのものである。15はっきりっておく。どものようにかみくにれるひとでなければ、けっしてそこにはいることはできない。」16そして、どもたちをげ、いてしゅくふくされた。

かねちのおとこ

(マタ19 1630、ルカ18 1830

17イエスがたびようとされると、あるひとはしって、ひざまずいてたずねた。「せんせいえいえんいのちぐには、なにをすればよいでしょうか。」18イエスはわれた。「なぜ、わたしを『い』とうのか。かみおひとりのほかに、ものはだれもいない。19ころすな、かんいんするな、ぬすむな、しょうするな、うばるな、うやまえ』というおきてをあなたはっているはずだ。」20するとかれは、「せんせい、そういうことはみな、どもときからまもってきました」とった。21イエスはかれつめ、いつくしんでわれた。「あなたにけているものが一つある。ってっているものはらい、まずしいひとびとほどこしなさい。そうすれば、てんとみむことになる。それから、わたしにしたがいなさい。」22そのひとはこのこととし、かなしみながらった。たくさんのざいさんっていたからである。

23イエスはたちをまわしてわれた。「ざいさんのあるものかみくにはいるのは、なんとむずかしいことか。」24たちはこのこといておどろいた。イエスはさらことつづけられた。「たちよ、かみくにはいるのは、なんとむずかしいことか。25かねちがかみくにはいるよりも、らくだがはりあなとおほうがまだやさしい。」26たちはますますおどろいて、「それでは、だれがすくわれるのだろうか」とたがいにった。27イエスはかれらをつめてわれた。「にんげんにできることではないが、かみにはできる。かみなんでもできるからだ。」28ペトロがイエスに、「このとおり、わたしたちはなにもかもててあなたにしたがってまいりました」といだした。29イエスはわれた。「はっきりっておく。わたしのためまたふくいんのために、いえきょうだいまいははちちどもはたけてたものはだれでも、30いまこので、はくがいけるが、いえきょうだいまいははどもはたけも百ばいけ、のちではえいえんいのちける。31しかし、さきにいるおおくのものあとになり、あとにいるおおくのものさきになる。」

イエス、三ぶんふっかつこくする

(マタ20 1719、ルカ18 3134

32いっこうがエルサレムへのぼってちゅう、イエスはせんとうってすすんでかれた。それをて、たちはおどろき、したがものたちはおそれた。イエスはふたたび十二にんせて、ぶんころうとしていることをはなはじめられた。33いま、わたしたちはエルサレムへのぼってく。ひとさいちょうたちやりっぽうがくしゃたちにわたされる。かれらはけいせんこくしてほうじんわたす。34ほうじんひとじょくし、つばをかけ、むちったうえでころす。そして、ひとみっのちふっかつする。」

ヤコブとヨハネのねが

(マタ20 2028

35ゼベダイのヤコブとヨハネがすすて、イエスにった。「せんせい、おねがいすることをかなえていただきたいのですが。」36イエスが、「なにをしてほしいのか」とわれると、37ふたった。「えいこうをおけになるとき、わたしどものひとをあなたのみぎに、もうひとひだりすわらせてください。」38イエスはわれた。「あなたがたは、ぶんなにねがっているか、かっていない。このわたしがさかずきみ、このわたしがける洗礼〔バプテスマ〕けることができるか。」39かれらが、「できます」とうと、イエスはわれた。「たしかに、あなたがたはわたしがさかずきみ、わたしがける洗礼〔バプテスマ〕けることになる。40しかし、わたしのみぎひだりにだれがすわるかは、わたしのめることではない。それは、さだめられたひとびとゆるされるのだ。」41ほかの十にんものはこれをいて、ヤコブとヨハネのことではらはじめた。42そこで、イエスはいちどうせてわれた。「あなたがたもっているように、ほうじんあいだでは、はいしゃなされているひとびとたみはいし、えらひとたちがけんりょくるっている。43しかし、あなたがたのあいだでは、そうではない。あなたがたのなかえらくなりたいものは、みなつかえるものになり、44いちばんうえになりたいものは、すべてのひとしもべになりなさい。45ひとつかえられるためではなくつかえるために、また、おおくのひとみのしろきんとしてぶんいのちささげるためにたのである。」

もうじんバルティマイをいやす

(マタ20 2934、ルカ18 3543

46いっこうはエリコのまちいた。イエスがたちやおおぜいぐんしゅういっしょに、エリコをこうとされたとき、ティマイので、バルティマイというもうじんみちばたすわってものいをしていた。47ナザレのイエスだとくと、さけんで、「ダビデのイエスよ、わたしをあわれんでください」とはじめた。48おおくのひとびとしかりつけてだまらせようとしたが、かれはますます、「ダビデのよ、わたしをあわれんでください」とさけつづけた。49イエスはまって、「あのおとこんでなさい」とわれた。ひとびともうじんんでった。「あんしんしなさい。ちなさい。おびだ。」50もうじんうわて、おどがってイエスのところにた。51イエスは、「なにをしてほしいのか」とわれた。もうじんは、「せんせいえるようになりたいのです」とった。52そこで、イエスはわれた。「きなさい。あなたのしんこうがあなたをすくった。」もうじんは、すぐえるようになり、なおみちすすまれるイエスにしたがった。

エルサレムにむかえられる

(マタ21 111、ルカ19 2840、ヨハ12 1219

11

1いっこうがエルサレムにちかづいて、オリーブやまのふもとにあるベトファゲとベタニアにさしかかったとき、イエスはふた使つかいにそうとして、2われた。「こうのむらきなさい。むらはいるとすぐ、まだだれもったことのないろばのつないであるのがつかる。それをほどいて、れてなさい。3もし、だれかが、『なぜ、そんなことをするのか』とったら、『しゅがおようなのです。すぐここにおかえしになります』といなさい。」4ふたは、かけてくと、おもてどおりのぐちろばのつないであるのをつけたので、それをほどいた。5すると、そこにわせたあるひとびとが、「そのろばをほどいてどうするのか」とった。6ふたが、イエスのわれたとおりはなすと、ゆるしてくれた。7ふたろばをれてイエスのところにもどってて、そのうえぶんふくをかけると、イエスはそれにおりになった。8おおくのひとぶんふくみちき、また、ほかのひとびとはらからいたえだってみちいた。9そして、まえものあとしたがものさけんだ。

「ホサナ。

しゅによってられるかたに、

しゅくふくがあるように。

10われらのちちダビデのきたるべきくにに、

しゅくふくがあるように。

いとたかきところにホサナ。」

11こうして、イエスはエルサレムにいて、しん殿でんけいだいはいり、あたりのようまわったあと、もはやゆうがたになったので、十二にんれてベタニアへかれた。

いちじくののろ

(マタ21 1819

12よくじついっこうがベタニアをるとき、イエスはくうふくおぼえられた。13そこで、しげったいちじくのとおくからて、がなってはいないかとちかられたが、のほかはなにもなかった。いちじくのせつではなかったからである。14イエスはそのかって、「いまからのちいつまでも、おまえからべるものがないように」とわれた。たちはこれをいていた。

しん殿でんからしょうにん

(マタ21 1217、ルカ19 4548、ヨハ2 1322

15それから、いっこうはエルサレムにた。イエスはしん殿でんけいだいはいり、そこでいしていたひとびとはじめ、りょうがえにんだいはとものこしけをひっくりかえされた。16また、けいだいとおってものはこぶこともおゆるしにならなかった。17そして、ひとびとおしえてわれた。「こういてあるではないか。

『わたしのいえは、すべてのくにひと

いのりのいえばれるべきである。』

ところが、あなたたちは

それをごうとうにしてしまった。」

18さいちょうたちやりっぽうがくしゃたちはこれをいて、イエスをどのようにしてころそうかとはかった。ぐんしゅうみなそのおしえにたれていたので、かれらはイエスをおそれたからである。19ゆうがたになると、イエスはたちとみやこそとかれた。

れたいちじくのきょうくん

(マタ21 2022

20よくあさはやく、いっこうとおりがかりに、あのいちじくのもとかられているのをた。21そこで、ペトロはおもしてイエスにった。「せんせいらんください。あなたがのろわれたいちじくのが、れています。」22そこで、イエスはわれた。「かみしんじなさい。23はっきりっておく。だれでもこのやまかい、『がって、うみめ』とい、すこしもうたがわず、ぶんうとおりになるとしんじるならば、そのとおりになる。24だから、っておく。いのもとめるものはすべてすでられたとしんじなさい。そうすれば、そのとおりになる。25また、っていのるとき、だれかにたいしてなにうらみにおもうことがあれば、ゆるしてあげなさい。そうすれば、あなたがたのてんちちも、あなたがたのあやまちをゆるしてくださる。」

けんについてのもんどう

(マタ21 2327、ルカ20 18

27いっこうはまたエルサレムにた。イエスがしん殿でんけいだいあるいておられると、さいちょうりっぽうがくしゃちょうろうたちがやってて、28った。「なんけんで、このようなことをしているのか。だれが、そうするけんあたえたのか。」29イエスはわれた。「では、一つたずねるから、それにこたえなさい。そうしたら、なんけんでこのようなことをするのか、あなたたちにおう。30ヨハネの洗礼〔バプテスマ〕てんからのものだったか、それとも、ひとからのものだったか。こたえなさい。」31かれらはろんった。「『てんからのものだ』とえば、『では、なぜヨハネをしんじなかったのか』とうだろう。32しかし、『ひとからのものだ』とえば……。」かれらはぐんしゅうこわかった。みなが、ヨハネはほんとうげんしゃだとおもっていたからである。33そこで、かれらはイエスに、「からない」とこたえた。すると、イエスはわれた。「それなら、なんけんでこのようなことをするのか、わたしもうまい。」

「ぶどうえんのう」のたとえ

(マタ21 3346、ルカ20 919

12

1イエスは、たとえでかれらにはなはじめられた。「あるひとがぶどうえんつくり、かきめぐらし、しぼり、りのやぐらをて、これをのうたちにしてたびた。2しゅうかくときになったので、ぶどうえんしゅうかくるために、しもべのうたちのところへおくった。3だが、のうたちは、このしもべつかまえてふくろだたきにし、なにたせないでかえした。4そこでまた、しもべおくったが、のうたちはそのあたまなぐり、じょくした。5さらに、もうひとおくったが、こんころした。そのほかにおおくのしもべおくったが、あるものなぐられ、あるものころされた。6まだひとあいするむすがいた。『わたしのむすならうやまってくれるだろう』とって、さいむすおくった。7のうたちははなった。『これはあとりだ。さあ、ころしてしまおう。そうすれば、そうぞくざいさんわれわれのものになる。』8そして、むすつかまえてころし、ぶどうえんそとにほうりしてしまった。9さて、このぶどうえんしゅじんは、どうするだろうか。もどってのうたちをころし、ぶどうえんをほかのひとたちにあたえるにちがいない。10せいしょにこういてあるのをんだことがないのか。

いえてるものてたいし

これがすみおやいしとなった。

11これは、しゅがなさったことで、

わたしたちのにはえる。』」

12かれらは、イエスがぶんたちにてつけてこのたとえをはなされたとづいたので、イエスをらえようとしたが、ぐんしゅうおそれた。それで、イエスをそののこしてった。

こうていへのぜいきん

(マタ22 1522、ルカ20 2026

13さて、ひとびとは、イエスのことじりをとらえておとしいれようとして、ファリサイやヘロデひとすうにんイエスのところにつかわした。14かれらはて、イエスにった。「せんせい、わたしたちは、あなたがしんじつかたで、だれをもはばからないかたであることをっています。ひとびとへだてせず、しんもとづいてかみみちおしえておられるからです。ところで、こうていぜいきんおさめるのは、りっぽうかなっているでしょうか、かなっていないでしょうか。おさめるべきでしょうか、おさめてはならないのでしょうか。」15イエスは、かれらのしたごころいてわれた。「なぜ、わたしをためそうとするのか。デナリオンぎんってせなさい。」16かれらがそれをってると、イエスは、「これは、だれのしょうぞうめいか」とわれた。かれらが、「こうていのものです」とうと、17イエスはわれた。「こうていのものはこうていに、かみのものはかみかえしなさい。」かれらは、イエスのこたえにおどろった。

ふっかつについてのもんどう

(マタ22 2333、ルカ20 2740

18ふっかつはないとっているサドカイひとびとが、イエスのところへたずねた。19せんせい、モーセはわたしたちのためにいています。『あるひとあにに、つまあとのこしてがないあい、そのおとうとあによめけっこんして、あにあとぎをもうけねばならない』と。20ところで、七にんきょうだいがいました。ちょうなんつまむかえましたが、あとぎをのこさないでにました。21なんがそのおんなつまにしましたが、あとぎをのこさないでに、三なんどうようでした。22こうして、七にんともあとぎをのこしませんでした。さいにそのおんなにました。23ふっかつときかれらがふっかつすると、そのおんなはだれのつまになるのでしょうか。七にんともそのおんなつまにしたのです。」24イエスはわれた。「あなたたちはせいしょかみちかららないから、そんなおもちがいをしているのではないか。25しゃなかからふっかつするときには、めとることもとつぐこともなく、てん使のようになるのだ。26しゃふっかつすることについては、モーセのしょの『しば』のしょで、かみがモーセにどうわれたか、んだことがないのか。『わたしはアブラハムのかみ、イサクのかみ、ヤコブのかみである』とあるではないか。27かみんだものかみではなく、きているものかみなのだ。あなたたちはたいへんおもちがいをしている。」

もっとじゅうようおきて

(マタ22 3440、ルカ10 2528

28かれらのろんいていたひとりっぽうがくしゃすす、イエスがりっにおこたえになったのをて、たずねた。「あらゆるおきてのうちで、どれがだい一でしょうか。」29イエスはおこたえになった。「だい一のおきては、これである。『イスラエルよ、け、わたしたちのかみであるしゅは、ゆいいつしゅである。30こころくし、せいしんくし、おもいをくし、ちからくして、あなたのかみであるしゅあいしなさい。』31だい二のおきては、これである。『りんじんぶんのようにあいしなさい。』この二つにまさるおきてはほかにない。」32りっぽうがくしゃはイエスにった。「せんせい、おっしゃるとおりです。『かみゆいいつである。ほかにかみはない』とおっしゃったのは、ほんとうです。33そして、『こころくし、くし、ちからくしてかみあいし、またりんじんぶんのようにあいする』ということは、どんなくすささものやいけにえよりもすぐれています。」34イエスはりっぽうがくしゃてきせつこたえをしたのをて、「あなたは、かみくにからとおくない」とわれた。もはや、あえてしつもんするものはなかった。

ダビデのについてのもんどう

(マタ22 4146、ルカ20 4144

35イエスはしん殿でんけいだいおしえていたとき、こうわれた。「どうしてりっぽうがくしゃたちは、『メシアはダビデのだ』とうのか。36ダビデしんせいれいけてっている。

しゅは、わたしのしゅにおげになった。

「わたしのみぎきなさい。

わたしがあなたのてき

あなたのあしもとにくっぷくさせるときまで」と。』

37このようにダビデしんがメシアをしゅんでいるのに、どうしてメシアがダビデのなのか。」おおぜいぐんしゅうは、イエスのおしえによろこんでみみかたむけた。

りっぽうがくしゃなんする

(マタ23 136、ルカ20 4547

38イエスはおしえのなかでこうわれた。「りっぽうがくしゃをつけなさい。かれらは、ながころもをまとってあるまわることや、ひろあいさつされること、39かいどうではじょうせきえんかいではじょうすわることをのぞみ、40また、やもめのいえものにし、せかけのながいのりをする。このようなものたちは、ひといちばいきびしいさばきをけることになる。」

やもめのけんきん

(ルカ21 14

41イエスはさいせんばこかいにすわって、ぐんしゅうがそれにかねれるようておられた。おおぜいかねちがたくさんれていた。42ところが、ひとまずしいやもめがて、レプトンどうまい、すなわち一クァドランスをれた。43イエスは、たちをせてわれた。「はっきりっておく。このまずしいやもめは、さいせんばこれているひとなかで、だれよりもたくさんれた。44みなあまなかかられたが、このひとは、とぼしいなかからぶんっているものをすべて、せいかつぜんれたからである。」

しん殿でんほうかいこくする

(マタ24 12、ルカ21 56

13

1イエスがしん殿でんけいだいかれるとき、ひとった。「せんせいらんください。なんとすばらしいいし、なんとすばらしいたてものでしょう。」2イエスはわれた。「これらのおおきなたてものているのか。一つのいしもここでくずされずにいしうえのこることはない。」

しゅうまつしるし

(マタ24 314、ルカ21 719

3イエスがオリーブやましん殿でんほういてすわっておられると、ペトロ、ヤコブ、ヨハネ、アンデレが、ひそかにたずねた。4「おっしゃってください。そのことはいつこるのですか。また、そのことがすべてじつげんするときには、どんなしるしがあるのですか。」5イエスははなはじめられた。「ひとまどわされないようにをつけなさい。6わたしのものおおぜいあらわれ、『わたしがそれだ』とって、おおくのひとまどわすだろう。7せんそうさわぎやせんそうのうわさをいても、あわててはいけない。そういうことはこるにまっているが、まだわりではない。8たみたみに、くにくにてきたいしてがり、ほうぼうしんがあり、きんこる。これらはみのくるしみのはじまりである。9あなたがたはぶんのことにをつけていなさい。あなたがたはほうほういんわたされ、かいどうちたたかれる。また、わたしのためにそうとくおうまえたされて、あかしをすることになる。10しかし、まず、ふくいんがあらゆるたみつたえられねばならない。11わたされ、れてかれるとき、なにおうかとろうをしてはならない。そのときには、おしえられることをはなせばよい。じつは、はなすのはあなたがたではなく、せいれいなのだ。12きょうだいきょうだいを、ちちいやり、おやはんこうしてころすだろう。13また、わたしののために、あなたがたはすべてのひとにくまれる。しかし、さいまでしのものすくわれる。」

おおきななんこくする

(マタ24 1528、ルカ21 2024

14にくむべきかいしゃってはならないところつのをたら──どくしゃさとれ──、そのとき、ユダヤにいるひとびとやまげなさい。15おくじょうにいるものしたりてはならない。いえにあるものなにそうとしてなかはいってはならない。16はたけにいるものは、うわりにかえってはならない。17それらのには、おもおんなおんなこうだ。18このことがふゆこらないように、いのりなさい。19それらのには、かみてんつくられたそうぞうはじめからいままでなく、こんけっしてないほどのなんるからである。20しゅがそのかんちぢめてくださらなければ、だれひとすくわれない。しかし、しゅぶんのものとしてえらんだひとたちのために、そのかんちぢめてくださったのである。21そのとき、『よ、ここにメシアがいる』『よ、あそこだ』とものがいても、しんじてはならない。22にせメシアやにせげんしゃあらわれて、しるしやわざおこない、できれば、えらばれたひとたちをまどわそうとするからである。23だから、あなたがたはをつけていなさい。いっさいことまえもってっておく。」

ひと

(マタ24 2931、ルカ21 2528

24「それらのには、このようななんのち

たいようくらくなり、

つきひかりはなたず、

25ほしそらからち、

てんたいうごかされる。

26そのとき、ひとおおいなるちからえいこうびてくもってるのを、ひとびとる。27そのとき、ひとてん使たちをつかわし、てからてんてまで、かれによってえらばれたひとたちを四ほうからあつめる。」

いちじくのおし

(マタ24 3235、ルカ21 2933

28「いちじくのからおしえをまなびなさい。えだやわらかくなり、びると、なつちかづいたことがかる。29それとおなじように、あなたがたは、これらのことがこるのをたら、ひとぐちちかづいているとさとりなさい。30はっきりっておく。これらのことがみなこるまでは、このだいけっしてほろびない。31てんほろびるが、わたしのことけっしてほろびない。」

ましていなさい

(マタ24 3644

32「その、そのときは、だれもらない。てん使たちもらない。ちちだけがごぞんじである。33をつけて、ましていなさい。そのときがいつなのか、あなたがたにはからないからである。34それは、ちょうど、いえあとたびひとが、しもべたちにごとててせきにんたせ、もんばんにはましているようにと、いつけておくようなものだ。35だから、ましていなさい。いついえしゅじんかえってるのか、ゆうがたか、なかか、にわとりくころか、がたか、あなたがたにはからないからである。36しゅじんとつぜんかえってて、あなたがたがねむっているのをつけるかもしれない。37あなたがたにうことは、すべてのひとうのだ。ましていなさい。」

イエスをころけいりゃく

(マタ26 15、ルカ22 12、ヨハ11 4553

14

1さて、すぎこしさいじょこうさいふつまえになった。さいちょうたちやりっぽうがくしゃたちは、なんとかけいりゃくもちいてイエスをらえてころそうとかんがえていた。2かれらは、「みんしゅうさわぎだすといけないから、まつりのあいだはやめておこう」とっていた。

ベタニアでこうそそがれる

(マタ26 613、ヨハ12 18

3イエスがベタニアでおもびょうひとシモンのいえにいて、しょくせきいておられたとき、ひとおんなが、じゅんすいじょうこうなナルドのこうはいったせっこうつぼってて、それをこわし、こうをイエスのあたまそそぎかけた。4そこにいたひとなんにんかが、ふんがいしてたがいにった。「なぜ、こんなにこうづかいしたのか。5このこうは三百デナリオンじょうって、まずしいひとびとほどこすことができたのに。」そして、かのじょきびしくとがめた。6イエスはわれた。「するままにさせておきなさい。なぜ、このひとこまらせるのか。わたしにいことをしてくれたのだ。7まずしいひとびとはいつもあなたがたといっしょにいるから、したいときにいことをしてやれる。しかし、わたしはいつもいっしょにいるわけではない。8このひとはできるかぎりのことをした。つまり、まえもってわたしのからだこうそそぎ、まいそうじゅんをしてくれた。9はっきりっておく。かいじゅうどこでも、ふくいんつたえられるところでは、このひとのしたこともねんとしてかたつたえられるだろう。」

ユダ、うらりをくわだてる

(マタ26 1416、ルカ22 36

10十二にんひとイスカリオテのユダは、イエスをわたそうとして、さいちょうたちのところへかけてった。11かれらはそれをいてよろこび、かねあたえるやくそくをした。そこでユダは、どうすればおりよくイエスをわたせるかとねらっていた。

すぎこししょくをする

(マタ26 1725、ルカ22 7142123、ヨハ13 2130

12じょこうさいだいにち、すなわちすぎこしひつじほふたちがイエスに、「すぎこししょくをなさるのに、どこへってよういたしましょうか」とった。13そこで、イエスはつぎのようにって、ふた使つかいにされた。「みやこきなさい。すると、みずがめをはこんでいるおとこう。そのひとについてきなさい。14そのひとはいっていえしゅじんにはこういなさい。『せんせいが、「たちといっしょすぎこししょくをするわたしのはどこか」とっています。』15すると、せきととのってようのできた二かいひろせてくれるから、そこにわたしたちのためにじゅんをしておきなさい。」16たちはかけてみやこってみると、イエスがわれたとおりだったので、すぎこししょくじゅんした。17ゆうがたになると、イエスは十二にんいっしょにそこへかれた。18いちどうせきいてしょくをしているとき、イエスはわれた。「はっきりっておくが、あなたがたのうちのひとで、わたしといっしょしょくをしているものが、わたしをうらろうとしている。」19たちはこころいためて、「まさかわたしのことでは」とわるわるはじめた。20イエスはわれた。「十二にんのうちのひとで、わたしといっしょはちものひたしているものがそれだ。21ひとは、せいしょいてあるとおりに、ってく。だが、ひとうらるそのものこうだ。まれなかったほうが、そのもののためによかった。」

しゅばんさん

(マタ26 2630、ルカ22 1520、一コリ11 2325

22いちどうしょくをしているとき、イエスはパンをり、さんいのりをとなえて、それをき、たちにあたえてわれた。「りなさい。これはわたしのからだである。」23また、さかずきり、かんしゃいのりをとなえて、かれらにおわたしになった。かれらはみなそのさかずきからんだ。24そして、イエスはわれた。「これは、おおくのひとのためにながされるわたしのけいやくである。25はっきりっておく。かみくにあらたにむそのまで、ぶどうのからつくったものをむことはもうけっしてあるまい。」26いちどうさんうたをうたってから、オリーブやまかけた。

ペトロのはんこくする

(マタ26 3135、ルカ22 3134、ヨハ13 3638

27イエスはたちにわれた。「あなたがたはみなわたしにつまずく。

『わたしはひつじいをつ。

すると、ひつじってしまう』

いてあるからだ。28しかし、わたしはふっかつしたのち、あなたがたよりさきにガリラヤへく。」29するとペトロが、「たとえ、みんながつまずいても、わたしはつまずきません」とった。30イエスはわれた。「はっきりっておくが、あなたは、きょこんにわとりが二まえに、三わたしのことをらないとうだろう。」31ペトロはちからめてった。「たとえ、いっしょなねばならなくなっても、あなたのことをらないなどとはけっしてもうしません。」みなものおなじようにった。

ゲツセマネでいの

(マタ26 3646、ルカ22 3946

32いちどうがゲツセマネというところると、イエスはたちに、「わたしがいのっているあいだ、ここにすわっていなさい」とわれた。33そして、ペトロ、ヤコブ、ヨハネをともなわれたが、イエスはひどくおそれてもだえはじめ、34かれらにわれた。「わたしはぬばかりにかなしい。ここをはなれず、ましていなさい。」35すこすすんでってめんにひれし、できることなら、このくるしみのときぶんからるようにといのり、36こうわれた。「アッバ、ちちよ、あなたはなんでもおできになります。このさかずきをわたしからりのけてください。しかし、わたしがねがうことではなく、こころかなうことがおこなわれますように。」37それから、もどってらんになると、たちはねむっていたので、ペトロにわれた。「シモン、ねむっているのか。わずかいっときましていられなかったのか。38ゆうわくおちいらぬよう、ましていのっていなさい。こころえても、にくたいよわい。」39さらに、こうへって、おなこといのられた。40ふたたもどってらんになると、たちはねむっていた。ひどくねむかったのである。かれらは、イエスにどうえばよいのか、からなかった。41イエスは三もどってわれた。「あなたがたはまだねむっている。やすんでいる。もうこれでいい。ときた。ひとつみびとたちのわたされる。42て、こう。よ、わたしをうらものた。」

うらられ、たいされる

(マタ26 4756、ルカ22 4753、ヨハ18 312

43さて、イエスがまだはなしておられると、十二にんひとであるユダがすすってた。さいちょうりっぽうがくしゃちょうろうたちのつかわしたぐんしゅうも、つるぎぼうっていっしょた。44イエスをうらろうとしていたユダは、「わたしがせっぷんするのが、そのひとだ。つかまえて、がさないようにれてけ」と、まえもってあいめていた。45ユダはやってるとすぐに、イエスにちかり、「せんせい」とってせっぷんした。46ひとびとは、イエスにをかけてらえた。47わせたひとびとのうちのあるものが、つるぎいてだいさいしたってかかり、かたほうみみとした。48そこで、イエスはかれらにわれた。「まるでごうとうにでもかうように、つるぎぼうってらえにたのか。49わたしはまいにちしん殿でんけいだいいっしょにいておしえていたのに、あなたたちはわたしをらえなかった。しかし、これはせいしょことじつげんするためである。」50たちはみな、イエスをててげてしまった。

ひとわかものげる

51ひとわかものが、はだぬのをまとってイエスについてていた。ひとびとらえようとすると、52ぬのててはだかげてしまった。

さいこうほういんさいばんける

(マタ26 5768、ルカ22 54556371、ヨハ18 13141924

53ひとびとは、イエスをだいさいのところへれてった。さいちょうちょうろうりっぽうがくしゃたちがみなあつまってた。54ペトロはとおはなれてイエスにしたがい、だいさいしきなかにわまではいって、したやくたちといっしょすわって、にあたっていた。55さいちょうたちとさいこうほういんぜんいんは、けいにするためイエスにとってしょうげんもとめたが、られなかった。56おおくのものがイエスにしょうをしたが、そのしょうげんちがっていたからである。57すると、すうにんものがって、イエスにしょうをした。58「このおとこが、『わたしはにんげんつくったこのしん殿でんたおし、みっあれば、つくらないべつしん殿でんててみせる』とうのを、わたしたちはきました。」59しかし、このあいも、かれらのしょうげんちがった。60そこで、だいさいがり、なかすすて、イエスにたずた。「なにこたえないのか、このものたちがおまえしょうげんをしているが、どうなのか。」61しかし、イエスはだまつづなにもおこたえにならなかった。そこで、かさねてだいさいたずね、「おまえはほむべきかた、メシアなのか」とった。62イエスはわれた。「そうです。

あなたたちは、ひとぜんのうかみみぎすわり、

てんくもかこまれてるのをる。」

63だいさいは、ころもきながらった。「これでもまだしょうにんひつようだろうか。64しょくんぼうとくこといた。どうかんがえるか。」いちどうは、けいにすべきだとけつした。65それから、あるものはイエスにつばきかけ、かくしをしてこぶしでなぐりつけ、「ててみろ」とはじめた。また、したやくたちは、イエスをひらった。

ペトロ、イエスをらないと

(マタ26 6975、ルカ22 5662、ヨハ18 15182527

66ペトロがしたなかにわにいたとき、だいさいつかえるじょちゅうひとて、67ペトロがにあたっているのをにすると、じっとつめてった。「あなたも、あのナザレのイエスといっしょにいた。」68しかし、ペトロはして、「あなたがなんのことをっているのか、わたしにはからないし、けんとうもつかない」とった。そして、ぐちほうくと、にわとりいた。69じょちゅうはペトロをて、まわりのひとびとに、「このひとは、あのひとたちのなかです」とまたいだした。70ペトロは、ふたたした。しばらくして、こんは、わせたひとびとがペトロにった。「たしかに、おまえはあのれんちゅうなかだ。ガリラヤのものだから。」71すると、ペトロはのろいのことさえくちにしながら、「あなたがたのっているそんなひとらない」とちかはじめた。72するとすぐ、にわとりふたたいた。ペトロは、「にわとりが二まえに、あなたは三わたしをらないとうだろう」とイエスがわれたことおもして、いきなりきだした。

ピラトからじんもんされる

(マタ27 121114、ルカ23 15、ヨハ18 2838

15

1けるとすぐ、さいちょうたちは、ちょうろうりっぽうがくしゃたちとともに、つまりさいこうほういんぜんたいそうだんしたのち、イエスをしばっていてき、ピラトにわたした。2ピラトがイエスに、「おまえがユダヤじんおうなのか」とじんもんすると、イエスは、「それは、あなたがっていることです」とこたえられた。3そこでさいちょうたちが、いろいろとイエスをうったえた。4ピラトがふたたじんもんした。「なにこたえないのか。かれらがあのようにおまえうったえているのに。」5しかし、イエスがもはやなにもおこたえにならなかったので、ピラトはおもった。

けいはんけつける

(マタ27 1526、ルカ23 1325、ヨハ18 3919 16

6ところで、まつりのたびごとに、ピラトはひとびとねがしゅうじんひとしゃくほうしていた。7さて、ぼうどうのときひとごろしをしてとうごくされていたぼうたちのなかに、バラバというおとこがいた。8ぐんしゅうしかけてて、いつものようにしてほしいとようきゅうはじめた。9そこで、ピラトは、「あのユダヤじんおうしゃくほうしてほしいのか」とった。10さいちょうたちがイエスをわたしたのは、ねたみのためだとかっていたからである。11さいちょうたちは、バラバのほうしゃくほうしてもらうようにぐんしゅうせんどうした。12そこで、ピラトはあらためて、「それでは、ユダヤじんおうとおまえたちがっているあのものは、どうしてほしいのか」とった。13ぐんしゅうはまたさけんだ。「じゅうにつけろ。」14ピラトはった。「いったいどんなあくはたらいたというのか。」ぐんしゅうはますますはげしく、「じゅうにつけろ」とさけてた。15ピラトはぐんしゅうまんぞくさせようとおもって、バラバをしゃくほうした。そして、イエスをむちってから、じゅうにつけるためにわたした。

へいからじょくされる

(マタ27 2731、ヨハ19 23

16へいたちは、かんてい、すなわちそうとくかんていなかに、イエスをいてき、たいぜんいんあつめた。17そして、イエスにむらさきふくせ、いばらかんむりんでかぶらせ、18「ユダヤじんおうばんざい」とってけいれいはじめた。19またなんも、あしぼうあたまをたたき、つばきかけ、ひざまずいておがんだりした。20このようにイエスをじょくしたあげく、むらさきふくがせてもとふくせた。そして、じゅうにつけるためにそとした。

じゅうにつけられる

(マタ27 3244、ルカ23 2643、ヨハ19 1727

21そこへ、アレクサンドロとルフォスとのちちでシモンというキレネじんが、なかからとおりかかったので、へいたちはイエスのじゅうかつがせた。22そして、イエスをゴルゴタというところ──そのは「されこうべのしょ」──にれてった。23もつやくぜたぶどうしゅませようとしたが、イエスはおけにならなかった。24それから、へいたちはイエスをじゅうにつけて、

そのふくった、

だれがなにるかをくじきでめてから。

25イエスをじゅうにつけたのは、ぜんであった。26ざいじょうきには、「ユダヤじんおう」といてあった。27また、イエスといっしょふたごうとうを、ひとみぎにもうひとひだりに、じゅうにつけた。 29そこをとおりかかったひとびとは、あたまりながらイエスをののしってった。「おやおや、しん殿でんたおし、みってるもの30じゅうからりてぶんすくってみろ。」31おなじように、さいちょうたちもりっぽうがくしゃたちといっしょになって、わるわるイエスをじょくしてった。「にんすくったのに、ぶんすくえない。32メシア、イスラエルのおういますぐじゅうからりるがいい。それをたら、しんじてやろう。」いっしょじゅうにつけられたものたちも、イエスをののしった。

イエスの

(マタ27 4556、ルカ23 4449、ヨハ19 2830

33ひるの十二になると、ぜんくらくなり、それが三までつづいた。34にイエスはおおごえさけばれた。「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。」これは、「わがかみ、わがかみ、なぜわたしをおてになったのですか」というである。35そばにわせたひとびとのうちには、これをいて、「そら、エリヤをんでいる」とものがいた。36あるものはしり、かい綿めんいぶどうしゅふくませてあしぼうけ、「て、エリヤがかれろしにるかどうか、ていよう」といながら、イエスにませようとした。37しかし、イエスはおおごえしていきられた。38すると、しん殿でんまくうえからしたまでぷたつにけた。39ひゃくにんたいちょうがイエスのほういて、そばにっていた。そして、イエスがこのようにいきられたのをて、「ほんとうに、このひとかみだった」とった。40また、じんたちもとおくからまもっていた。そのなかには、マグダラのマリア、しょうヤコブとヨセのははマリア、そしてサロメがいた。41このじんたちは、イエスがガリラヤにおられたとき、イエスにしたがってをしていたひとびとである。なおそのほかにも、イエスとともにエルサレムへのぼってじんたちがおおぜいいた。

はかほうむられる

(マタ27 5761、ルカ23 5056、ヨハ19 3842

42すでゆうがたになった。そのじゅん、すなわちあんそくぜんじつであったので、43アリマタヤしゅっしんぶんたかいんヨセフがて、ゆうしてピラトのところへき、イエスのたいわたしてくれるようにとねがた。このひとかみくにのぞんでいたのである。44ピラトは、イエスがもうんでしまったのかとおもい、ひゃくにんたいちょうせて、すでんだかどうかをたずねた。45そして、ひゃくにんたいちょうたしかめたうえ、たいをヨセフにわたした。46ヨセフはぬのい、イエスをじゅうからろしてそのぬのき、いわってつくったはかなかおさめ、はかぐちにはいしころがしておいた。47マグダラのマリアとヨセのははマリアとは、イエスのたいおさめたしょつめていた。

ふっかつする

(マタ28 18、ルカ24 112、ヨハ20 110

16

1あんそくわると、マグダラのマリア、ヤコブのははマリア、サロメは、イエスにあぶらりにくためにこうりょうった。2そして、しゅうはじめのあさごくはやく、るとすぐはかった。3かのじょたちは、「だれがはかぐちからあのいしころがしてくれるでしょうか」とはなっていた。4ところが、げてると、いしすでにわきへころがしてあった。いしじょうおおきかったのである。5はかなかはいると、しろながころもわかものみぎすわっているのがえたので、じんたちはひどくおどろいた。6わかものった。「おどろくことはない。あなたがたはじゅうにつけられたナザレのイエスをさがしているが、あのかたふっかつなさって、ここにはおられない。らんなさい。おおさめしたしょである。7さあ、って、たちとペトロにげなさい。『あのかたは、あなたがたよりさきにガリラヤへかれる。かねてわれたとおり、そこでおにかかれる』と。」8じんたちははかった。ふるがり、しょううしなっていた。そして、だれにもなにわなかった。おそろしかったからである。

むすび 一

マグダラのマリアにあらわれる

(マタ28 910、ヨハ20 1118

9イエスはしゅうはじめのあさはやく、ふっかつして、まずマグダラのマリアにしんあらわされた。このマリアは、ぜんイエスに七つのあくれいしていただいたじんである。10マリアは、イエスといっしょにいたひとびとかなしんでいるところへって、このことをらせた。11しかしかれらは、イエスがきておられること、そしてマリアがそのイエスをたことをいても、しんじなかった。

ふたあらわれる

(ルカ24 1335

12そののちかれらのうちのふたなかほうあるいてちゅう、イエスがべつ姿すがたしんあらわされた。13このふたってのこりのひとたちにらせたが、かれらはふたうこともしんじなかった。

たちをけんする

(マタ28 1620、ルカ24 3649、ヨハ20 1923、使徒1 68

14そののち、十一にんしょくをしているとき、イエスがあらわれ、そのしんこうとかたくななこころをおとがめになった。ふっかつされたイエスをひとびとうことを、しんじなかったからである。15それから、イエスはわれた。「ぜんかいって、すべてのつくられたものにふくいんつたえなさい。16しんじて洗礼〔バプテスマ〕けるものすくわれるが、しんじないものほろびのせんこくける。17しんじるものにはつぎのようなしるしがともなう。かれらはわたしのによってあくれいし、あたらしいことかたる。18へびをつかみ、また、どくんでもけっしてがいけず、びょうにんけばなおる。」

てんげられる

(ルカ24 5053、使徒1 911

19しゅイエスは、たちにはなしたのちてんげられ、かみみぎかれた。20いっぽうたちはかけてって、いたるところでせんきょうした。しゅかれらとともはたらき、かれらのかたことしんじつであることを、それにともなうしるしによってはっきりとおしめしになった。〕

むすび 二

じんたちは、めいじられたことをすべてペトロとそのなかたちにみじかつたえた。そののち、イエスしんも、ひがしから西にしまで、かれらをとおして、えいえんすくいにかんするせいなるちることのないふくいんひろめられた。アーメン。〕

底本に節が欠けている個所の異本による訳文

7 16 みみのあるものきなさい。

9 44 ごくではうじきることも、えることもない。

9 46 ごくではうじきることも、えることもない。

11 26 もしゆるさないなら、あなたがたのてんちちも、あなたがたのあやまちをおゆるしにならない。

15 28 こうして、「そのひとはんざいにんひとかぞえられた」というせいしょことじつげんした。

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